ここでは、ふっくんが 山や自然やアウトドアなどの いろんな お話を ご紹介します。

祖母山一ノ鳥居 ◆(4)思い出・・・祖母山一ノ鳥居(五ヶ所コース/宮崎県)

昔、祖母山は九州最高峰と考えられていました。のちに日本アルプス
の名付け親で『日本近代登山の父』として有名になった英国人宣教師
ウォルター・ウェストンは、日本アルプスに登る前年の明治23年(1890
年)11月6日に祖母山を訪れています。河内に泊まり、友人の宣教師
J・ブレンドラム氏らと共に五ヶ所から日帰りで祖母山に登ったのだそ
うです。明治時代の登山とはどのような感じのものだったのでしょう。

五ヶ所から長い林道を進み、北谷登山口へと向かう途中に素朴な木
製の鳥居が建っている地点を通過します。ここが往年の登山口があっ
た一ノ鳥居です。現在では廃道化していますが、私がウェストンの足
跡を訪ねて初めて祖母山に登った頃は まだ利用されていました。
きっとこの道をウェストンも歩いたのだろうと思いながら一歩一歩踏み
しめながら歩いたものです。その時の感激は今も忘れる事ができませ
ん。往年の名物コースをまた復活して欲しいものです。〔2004年8月 記〕
福岡県屈指の縦走路です。
◆(3)思い出・・・宝満山〜若杉山縦走

福岡市近郊に聳える宝満山は県下でも一番ハイカーに人気がある山
です。その宝満山から三郡山、砥石山、を経て『信仰の山』若杉山まで
は都市近郊では珍しい しっかりとした縦走路が通っています。

移り変わる景色を楽しみながら山歩きができるのが縦走の醍醐味で
す。日帰りができて山旅気分が味わえるこの縦走路は多くの登山者に
愛され親しまれています。

私がこの縦走路を初めて歩いたのは確か 25〜26年前の春でした。
二日市に住む友人のM君と2人で西鉄大宰府駅前から出発し、終点の
国鉄篠栗駅前まで1日かけて気ままに歩きました。M君は健脚だった
ので それに引きずられてコースタイムはかなり早かったと記憶してい
ます。天神経由で二日市まで戻り、駅近くの喫茶店で打ち上げをしまし
た。まだ、登山でマイカーを利用する習慣はほとんどありませんでした。
昔、縦走では苦い経験がありましたが、初めて縦走を楽しいと思った瞬間
でした。〔 2003年9月 記 〕

豊後中村駅(国鉄→JR)
◆(2)思い出・・・『くじゅうの玄関口』 豊後中村駅

昭和50年代後半頃、当時はくじゅう登山に行くのは ほとんど列車やバス
を利用していました。まだマイカーで登山口までドライブする習慣がなかっ
たからです。

甘木市に住む私達は国鉄(のちJR)田主丸駅から列車に乗り込み国鉄
豊後中村駅で降り、〔牧ノ戸峠行〕の日田バスに乗り換えていました。
バスが長者原に近づいてくると車窓から雄大なくじゅう連山の風景が
飛び込んできて胸ときめく思いでした。今では簡単に行けるくじゅうです
が、当時は現在の北アルプス行きぐらいの感動があったと思います。

大自然を満喫して、帰りに長者原でバスを待つ間に缶ビールで乾杯した
りしていました。帰りは列車とバスとの乗り換え時間が合わなくて、豊後
中村駅前にあった一杯飲み屋さん(?)で ささやかな酒宴をして待ち時
間を過ごしたこともありました。BZBさん、田○さん(現:BZBさんの奥さ
ん)、その他の方々と楽しんだものです。

そう言えば、豊後中村駅のホームでは しばらくの間『坊ガつる讃歌』が
流れていましたっけ。今も流れているのかな・・・? 〔 2003年8月 記 〕
九州の山(立石敏雄著)

 九州の山
     (立石敏雄著)
  しんつくし山岳会発行
◆(1)思い出・・・初めて買った山の本

昭和40年代ごろ、山登りは まだ今のような遊び的な要素が少なく、
登山口に行く手段も国鉄(現 JR)やバスなどの公共の乗り物を使う
のが一般的でした。

その頃 小学生だった私には 山登りが好きな友人 K君 がいました。
彼は すでに[ しんつくし山岳会]発行の[九州の山/立石敏雄著]というガイドブックを持っており 私にとっては眩しい存在でした。
それから数年後(昭和48年 末ごろ)、私もようやく[九州の山]を購入
しました。K君と疎遠になり、それまでK君に任せっきりだった山の
知識に興味を持ち始めた頃でした。

この[九州の山]は山のガイドブックが少なかった当時 貴重な本で、
山登りをする人達のバイブル的な本でした。
1〜2年ごとに どんどん改訂版が出されていましたが、著者の立石
敏雄氏が亡くなられたときに最終版となりました。
付録で手書きのような山の概念図などの資料がたくさん付いており、
ありがたかったことを覚えています。 〔 2002年 4月 記 〕 

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